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世界遺産学習に取り組むユネスコスクール事例

世界遺産学習に取り組むユネスコスクールの事例をインタビューしました。

世界遺産のための世界遺産教育ではなく、世界遺産を通して身近な「地域遺産」を学ぶことが大切。

世界遺産のための世界遺産教育ではなく、世界遺産を通して身近な「地域遺産」を学ぶことが大切。

ユネスコスクールと世界遺産教育の背景について教えて下さい

ユネスコスクールはこの5年くらい、文科省が力を入れているおかげで注目されてきていますが、実はユネスコスクールの歴史は古く、日本とのつながりも実はとても長いんです。

日本は国連に加盟するよりも前の1951年にユネスコに加盟し、ユネスコ活動を通して平和運動を行おうとしていました。1953年より始まったユネスコスクールは、2008年まで「ユネスコ協同学校(ASP:Associated Schools Project)」と呼ばれ、‘50~‘60年代には全国で30校以上の小中高校や教員養成大学が参加していたんです。それが‘70年代にかけてユネスコが南北問題に力を入れるようになると、アメリカや日本がユネスコと距離を置くようになり、ユネスコ協同学校のこともほとんどが忘れられるか休眠状態になっていました。

それが1999年に松浦晃一郎さんがユネスコ事務局長に選出された際に、日本でのユネスコ協同学校について問われたことから、ユネスコ協同学校が注目されはじめます。2005年に持続発展教育(ESD)が始まったときにユネスコ協同学校を使ってESDを推し進めていこうとなり、ユネスコ国内委員会もユネスコ協同学校を「ユネスコスクール」と改称して力を入れるようになりました。

でもまだこの段階では、ESDと世界遺産教育はリンクしていません。‘94年にユネスコがユネスコ協同学校プロジェクトで世界遺産を扱うと決め、‘98年には若い人向けのテキストを作って配ったのですが、日本では全く使われていませんでした。

しかしESDが、現在の地球環境や文化を未来に引き継いでゆくものであるならば、世界遺産の理念もまさに同じで、ESDのツールとして世界遺産が有効なのではないかと、考えられるようになったんです。そこから奈良市でも世界遺産学習推進委員会を中心に、世界遺産学習のテキスト作成や教員の養成、実践報告会の実施といった活動が、ようやくこの3年くらいで定着してきました。

なぜ世界遺産教育が必要なのでしょうか

奈良市を中心に、大学や小中学校教員、奈良国立博物館、寺社関係者などが協力して、世界遺産学習テキストが作られました。
奈良市を中心に、大学や小中学校教員、奈良国立博物館、寺社関係者などが協力して、世界遺産学習テキストが作られました。

1933年、ヒトラー率いるナチスによって、ベルリンを始めとする各地で“非ドイツ的な書籍”が焚書されました。ハインリッヒ・ハイネは「本を焼く者は、やがて人を焼くようになる。」と記していますが、それがアウシュヴィッツなどで現実になったことは、誰もが知ることです。つまり、文化を大切にしない人は、人間も大切にしないのです。

平和がなければ世界遺産もない。その意味で、全ての世界遺産は「危機遺産」の候補であるとも言えます。そもそも世界遺産の誕生自体が、危機遺産を救え、というものでした。世界遺産は「坑道のカナリア」なのです。そこでも世界遺産学習とESDは深く結びついています。

時どき、奈良には世界遺産がたくさんあるから世界遺産教育が可能なのだ、という意見を聞くことがありますが、そうじゃないんです。世界遺産教育は、世界遺産を通して身近な文化遺産や自然について考えるものです。そうした身近な「地域遺産」を学習教材にすることで、自分たちの住む地域や文化を大切に感じるようになります。世界遺産教育は地域遺産の価値を見つめなおすきっかけとなり、どの地域でも展開できる普遍性を持つものとなるのです。

世界遺産のための世界遺産教育ではありません。世界遺産教育から平和・人権、環境教育などのESDへ、という戦略が大切です。奈良教育大学では、教員養成大学として他の教員養成大学などとネットワークを作りながら、テキストの作成やユネスコスクールの担い手の育成などに、全学支援体制で力を入れていっています。

(2010年5月現在)

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