
※映画のストーリーにはほとんど触れていませんが、ご覧になったことがない方は念のためネタバレご注意ください。
ターセム・シン監督の2006年の映画『落下の王国』が、4Kデジタルリマスター版で再上映されています。先日、ようやく仕事帰りに観ることができました。
『落下の王国』は僕にとって、思い入れの深い大好きな映画です。この仕事を始めてわりとすぐの段階で、DVDの特典映像の制作に関わらせていただいただけでなく、4級テキストを初めて作った時に「世界遺産と関係する映画」で取り上げて描いてもらったイラストは、現行版の4級テキストでも引き続き使っていますし、初めて単著として書いた書籍『世界遺産のひみつ』でも映画について触れさせてもらいました。
思い入れが……なんて言いながら、映画館で観るのは初めて。DVDでは何度も観ているので、展開も映像も知っているのに感動してしまいました。とても映画らしい映画だと僕は思います。映画って本当にいいよな!って思える映画というか。ベートーヴェンの交響曲第7番に載せてモノクロームで描かれるイントロから、もう目が離せなくなるのです。
映画の内容について書き出すときりがないし、ブログの趣旨ともずれてしまうので、映画の主役のひとつともいえる世界遺産について少しだけ書きたいと思います。
『落下の王国』は、大けがをしたスタントマンのロイが、深い絶望の中で5歳の女の子アレクサンドリアに語っていく物語が、現実と交錯しながら進行していきます。彼が作り出す冒険の物語が、映画を見たことがなく英語も堪能ではないアレクサンドリアの頭の中で身近な人々を登場人物に当てはめながら映像となり、僕たちの前に現れます。
それが彼女の無垢な純粋さと驚き、世界に対する不思議さを、ぎゅっと濃縮したような世界観なのです。そこで使われているのが多くの世界遺産を含む、世界各地の驚くべき景観です。
イタリアの『ティヴォリのハドリアヌス別荘』に始まり、ナミビアの『ナミブ砂漠』、インドの『ファテープル・シークリー』や『ジャイプールのジャンタル・マンタル』などが冒険の舞台として次々に登場します。
世界遺産が映画の舞台となったり物語の中で飾りのように使われることはよくありますが、『落下の王国』での世界遺産の扱われ方はそれとは違っています。世界遺産が持つ作り物ではない、本物だけが纏う力のようなものが映画にとって不可欠な要素になり、ロイとアレクサンドリアが生み出す物語世界に説得力を与えるのです。だからこそ、観ている僕たちはその世界に入っていくことができるし、実在する世界遺産によって、虚構の物語世界と現実世界との境界があいまいになる感じは、この映画の物語そのものとも言えます。
その意味で、ロイとアレクサンドリアが生み出した世界は僕たちの生きる世界につながっています。ヤシの葉から手紙、薬品、人まで、さまざまなものが「落下」する物語の中で、自暴自棄になったロイの「落下」が最後にアレクサンドリアによって受け止められるのは、救いの物語としてよい余韻を残していますが、もちろんアレクサンドリアもロイとの物語で救われているし、きっと映画を観た僕たちも、2人ほどの喪失がなかったとしても救われているのでしょう。
『落下の王国』は、物語には人を救う力があることを僕たちに伝える映画だと思います。またそれは、今の時代に軽んじられていると感じるところでもあります。
「お金にならない」文学研究や文化論研究は軽視され、文化財や、国立公園などの自然環境ですら「お金を稼ぐ」ことが求められ、姿を変えていっています。それは世界遺産も例外ではありません。日本だけでなく各国の文化予算が減少傾向にあり、企業メセナやクラウドファンディングなどによる文化財保護が美談のように語られる現状に、僕は疑問を持っています。
文化財や自然、文学や映画や音楽などの文化には人々をストレスから回復させるレジリエンス効果があります。災害や紛争からの復興のにおいて人々を力づけるだけでなく、日々の生活の中でもその存在が人々の心にポジティヴな影響を与えています。それは経済効果などで測れるものではないのです。
『落下の王国』の話からはずいぶんと逸れてしまいましたが、あの映画で描かれた世界遺産も、残す努力を続けてきたために、人々に影響を与える強い力を持っているのだと、映画を見て感じました。世界遺産が残っていなかったら、『落下の王国』はこんなにも素晴らしい映画にならなかったかもしれないのですから。
最後に、『落下の王国』に登場したであろう世界遺産を紹介します。前回、DVDの特典映像に関わった時はロケ地一覧などなく、デモ映像を何度も止めながら確認して調べたことを思い出しました。今回は世界遺産の知識が増えたこともあり、映画を見ながら気が付いた遺産をピックアップしました。間違っていたらごめんなさい。
・イタリア『ティヴォリのハドリアヌス別荘』『ローマの歴史地区』
・ナミビア『ナミブ砂漠』
・インド『ファテープル・シークリー』『ジャイプールのジャンタル・マンタル』『ラジャスタン州のジャイプール市街』『ラジャスタンの丘陵城塞群』『タージ・マハル』『アーグラ城』
・インドネシア『バリの文化的景観』
・フランス『パリのセーヌ河岸』
・アメリカ『自由の女神像』
・エジプト『メンフィスのピラミッド地帯』
・中国『中国南部のカルスト地帯』『万里の長城』
・カンボジア『アンコールの遺跡群』
・チェコ『プラハの歴史地区』
・トルコ『イスタンブルの歴史地区』
※名称を省略しているものもあります

(2025.12.03)