■ 研究員ブログ223 ■ 完成が見えてきたサグラダ・ファミリア贖罪聖堂に感じた複雑な気持ち

梅の花の盛りを迎えて春らしい日が増え、それに花粉も飛び始めて、地球がぐるぐる回転しながら確実に次の季節に進んでいっていることを感じますね。

先日、『アントニ・ガウディの作品群』に含まれるサグラダ・ファミリア贖罪聖堂で、中心となる「イエス・キリストの塔」に十字架が設置されたとのニュースがありました。これで、サグラダ・ファミリア贖罪聖堂の大体のシルエットは整い、世界で最も高い聖堂建築になったそうです。2026年6月には、ガウディの没後100年に合わせた式典も計画されています。

僕はこのニュースを少し複雑な気持ちで見ました。

サグラダ・ファミリア贖罪聖堂の建設が始まったのは1882年のことです。僕がこの聖堂のことを知った小学生のころからずっと建設中だったので、未完であることが当たり前で、「これからも建設中であって欲しい!」ということではないですが、終わりが見えてきたことに対する寂しさもあるのだと思います。

サグラダ・ファミリア贖罪聖堂は、ガウディの遺したデッサンや模型などを基に、彼の死後も建設が続けられてきました。今回、十字架が設置された「イエス・キリストの塔」を含む全体の姿は、僕にとってはあまり馴染みのないものですが、ガウディの初期のクロッキーをよく再現しているなと思います。

完成までに300年かかると言われていたものが、その半分ほどで済みそうなのですが、その工期短縮に大きく貢献しているのが新しい建築技術です。3Dプリンターや3次元で建築情報を管理するBIM、コンピュータ制御の石材切削技術、そして鉄筋コンクリート造(RC工法)など、もちろんガウディが建設に関わっていた頃にはなかったものです。

大聖堂建設というのは、長い時間をかけて行われることも珍しくなく、世界遺産になっている聖堂でも数百年かかって建てられたものもよくあります。有名な『ケルン大聖堂』などは、中断期間を挟みますが完成までに600年ほどの年月がかかっています。そのため、ひとつの聖堂内にいくつもの建築様式が混在することも普通ですし、当初の計画から変更を加えながら建設が進むこともよくあります。

ただ、サグラダ・ファミリア贖罪聖堂の場合、当初のガウディの思想やアイデアに基づいて建設が進められていながら、工期短縮のために鉄筋コンクリート造の手法が用いられている点に、僕は少しひっかかってしまいます。

確かに、「モデルニスモ」というのは素材の新しさも特徴のひとつなので、実際に『アントニ・ガウディの作品群』に含まれるカサ・ミラには、従来の石材のほかに鉄骨やモルタルなども使用されています。しかしそれと、鉄筋コンクリート造とは意味合いが違うと思います。なぜなら、建築家が自らの意匠を実現するために工夫した結果ではないからです。

ガウディはサグラダ・ファミリア贖罪聖堂を建設するにあたって、砂袋を逆さ吊りにしたりしながら、自然なカテナリー曲線をもつ石積構造を考えました。これはゴシック建築などのような壁を支えるバットレスやフライング・バットレスを必要としない、より自然な構造で大空間を築くことを目指して辿り着いたものです。それを石積みではなく鉄筋コンクリート造で行うというのは、見た目は同じだけど構造理念が異なると思うのです。建築学的に全く同じであるというのであれば、すみません。

サグラダ・ファミリア贖罪聖堂は単独で世界遺産になっているわけではなく、『アントニ・ガウディの作品群』の構成資産のひとつとして2005に追加登録されました。それも聖堂すべてではなく、「生誕のファサード」と「地下聖堂」のみの登録です。

『アントニ・ガウディの作品群』は構成資産7件で、ガウディの建築を通した表現がカタルーニャの伝統文化の反映と近代建築への創造的貢献をしていると評価されました。しかし、あと10年ほどでサグラダ・ファミリア贖罪聖堂が完成するとして、この聖堂のすべてが世界遺産に追加されるかというと、難しいのではないかと思います。

今後は、「栄光のファサード」の前に大階段を建設する計画もあり、地域住民の立ち退きだけでなく、都市景観の大規模な変化なども課題となってきます。またサグラダ・ファミリア贖罪聖堂を中心とするオーバーツーリズムの課題も解決はされていません。

「建物は完成したところから崩壊が始まる」という考え方がありますが、これは「完成したところから保全が始まる」とも言えます。建材として考えると、コンクリートの耐用年数は石よりもずっと短いので、サグラダ・ファミリア贖罪聖堂は今後もより細かな保全計画が必要になります。

サグラダ・ファミリア贖罪聖堂が、驚くような意匠と圧倒的な美しさをもった大聖堂であることは誰の目にも明らかですし、ひとりの建築家の思想を何百人という人々が受け継ぎ続けているということも素晴らしいことです。大聖堂が何百年もかけて作られていく過程を見られることなんて、多くの人にとって一生に一度のことなので、世界遺産を学ぶ私たちはその意味を考えながら完成を見守りたいですね。

(2025.02.25)