3月19日から第64回の世界遺産検定の申し込み受付けが始まりました。3月19日は聖ヨセフの日です。今回のメインビジュアルは『アントニ・ガウディの作品群』に含まれる「サグラダ・ファミリア贖罪聖堂」。奇しくもこの教会は1882年の3月19日に建設が開始されました。そこから140年以上も建設が続けられています。

今年は、1926年6月10日にガウディが路面電車にはねられて73歳で死去してから100年のメモリアルイヤーで、サグラダ・ファミリアで最も高いメインタワー「イエス・キリストの塔」が完成する予定です。先月(2026年2月)には塔の頂上に最後の部品が取り付けられました。これによって、最も高い高さが172・5メートルに到達。6月10日にはそれを祝う式典も開かれる予定です。

さて、『アントニ・ガウディの作品群』という世界遺産ですが、1984年にはじめに世界遺産に登録されていますが、その時は「カサ・ミラ」、「グエル公園」、「グエル邸」の3つの作品のみが構成資産でした。ガウディの作品の中で最も有名な「サグラダ・ファミリア贖罪聖堂」は入っていませんでした。

「サグラダ・ファミリア贖罪聖堂」が世界遺産に登録されたのは2005年の範囲拡大の時です。「カサ・ヴィンセンス」、「カサ・パトリョ」、「コロニア・グエル聖堂の地下聖堂」とともに追加登録されました。こうして『アントニ・ガウディの作品群』は7つの構成資産になったのです。

しかし、2005年の時も「サグラダ・ファミリア贖罪聖堂」は一部分だけしか世界遺産に登録されませんでした。「生誕のファサード」と「地下聖堂」です。この2つはガウディが生きていた1905年に完成していたということで、世界遺産としての価値が認められました。
サグラダ・ファミリアの中で世界遺産に登録されている、この2つの部分を見ると、この教会の興味深い成り立ちが見えてきます。まず、地下聖堂の方を見てみましょう。

どうでしょうか? ガウディらしくない設計で、これだけ見せられたらガウディのサグラダ・ファミリアの一部だと思う人は少ないのではないでしょうか? じつは、サグラダ・ファミリアは最初は別の建築家が設計していて、ガウディは着工から1年後の1883年に後を引き継いだのです。
その建築家とはフランシスコ・デ・パウラという人です。1882年の着工時には、この人の設計をもとに工事がスタートしました。その設計図が残っていますが、今のサグラダ・ファミリアとはまったく違う、ゴシック・リバイバル様式の建築でした。
地下聖堂はサグラダ・ファミリアで最初に建設された部分で、フランシスコ・デ・パウラの設計で当初は工事が進められたため、その設計が色濃く反映されています。ちょっとガウディらしくないと思うのは、そのためです。
フランシスコ・デ・パウラは依頼主と設計方針の違いから辞任してしまい、31歳の若いガウディが後を継ぎました。もしフランシスコ・デ・パウラがそのまま設計を担当していたら、今のガウディのサグラダ・ファミリアはなかったことになります。

フランシスコ・デ・パウラから設計者の地位を継いだガウディは、どんどん自分のアイデアを出していって、サグラダ・ファミリアを当初のデザインとはまったく違うものにしてしまいます。
そうしたガウディらしさが遺憾なく現れているのが、もう1カ所の界遺産に登録されている「生誕のファサード」です。これは曲線を多用し、うねりながら上昇するような、エネルギーに溢れた設計。ガウディ以外には考えつかないような独創性に満ちたデザインです。

2030年代には全体が完成すると言われているサグラダ・ファミリアですが、果たして建物すべてが世界遺産に登録される時が来るのでしょうか? 次はどの部分が世界遺産に登録されるのでしょうか? 世界遺産好きとしてはサグラダ・ファミリアをそんな風に楽しんでみても良いかもしれません。
世界遺産ナビ【pamon】では、『アントニ・ガウディの作品群』の各構成資産についても詳しく解説しています。
アントニ・ガウディの作品群
登録基準:(i)(ii)(iv)
登録年:1984年登録
登録区分:文化遺産