■ 研究員ブログ180 ■ 「佐渡島の金山」の推薦について考えたこと(前半)

あれよあれよという間に2022年も1カ月が過ぎてしまいました。今日、2月1日は世界遺産登録において重要な日のひとつです。それは世界遺産条約の加盟国が推薦書をユネスコの世界遺産センターに提出する期限だからです。2月1日までに推薦書を提出しなければ、翌年の世界遺産委員会での審議を受けることはできず、更に1年先延ばしになってしまいます。ただでさえ登録までの道のりは長いのに、この締切を過ぎるだけで1年違ってくるのは、世界遺産登録を目指す自治体には大問題です。また、基本的に1つの国から一年に1件しか推薦できないため、推薦を待つ他の自治体にとっても他人事ではありません。そんな、いろいろな自治体や関係者をハラハラさせたのが、今年の世界遺産への推薦ではなかったでしょうか。

日本の遺産の場合ずっと、世界遺産条約関係省庁連絡会議で候補となった遺産が推薦されてきましたが、2014年に「明治日本の産業革命遺産」を推薦する時から、政府の閣議了解をもって推薦が決定されるようになりました。それが今回、推薦書の閣議了解が得られず、締切ぎりぎりまで推薦が止まっていたのです。

その大きな理由が、「佐渡島の鉱山で朝鮮半島の人々の強制労働があり、世界遺産にふさわしくない。」という韓国からの反発です。そのため、韓国からの反発を受けたまま推薦しても登録は困難ではないかという判断から、推薦が止まっていました。

最終的には推薦されることになりとても嬉しく思う反面、世界遺産への推薦の可否が、文化財の価値や保護という議論ではなく、国外でも国内でも政争の具だけになってしまったことを非常に残念に思います。

まず国内外で多くの人が誤解をしていますが、今回の「佐渡島の金山」の顕著な普遍的価値(OUV)が、長い鉱山の歴史全体ではなく「江戸時代」だけに区切られたのは、韓国からの反発を避けるためではありません。この遺産の価値の独自性を出すために、江戸時代に区切らざるを得なかったのです。

佐渡島の鉱山では、江戸時代から昭和まで長い年月の間、採掘が続けられてきました。それが故に、常に新しい技術に上書きされてしまっており、佐渡島の鉱山の独自性を示す証拠が少ないという難点があります。鉱山と集落の一体となった景観にしても採掘技術にしても、既に世界遺産である「石見銀山遺跡とその文化的景観」との違いが分かりにくいですし、石見銀山の方が古いまま証拠が残されています。また、近代の技術への移行は「明治日本の産業革命遺産」で既に証明され登録されています。そのため、「佐渡島の金山」では、石見と差を出すために「金」だけに絞り、「明治日本の産業革命遺産」と差を出すために「江戸時代」だけに絞り、構成資産を8件から2件にまで絞って、「佐渡島の金山」だけのOUVを整えました。

今回の韓国からの反発は、本来の世界遺産の観点からすると、無理があると僕は思います。文化遺産のある「場所」というのは、その不動産である文化遺産に関係あるものもないものも含め、長い歴史があります。それを、世界遺産のOUVとは関係のない歴史の点から反対するというのは、「それは世界遺産と絡めないといけない議論なの?」と思ってしまうのです。

確かに、世界遺産のOUVとは関係のない点で国際問題となり揉めた遺産に、イスラエルの「ダンの三連アーチ門」や「プレア・ビヒア寺院」などがあります。しかし、これらは現在でも対立している領土問題が理由で、今回の件とは違っています。もちろん「佐渡島の金山」で強制労働が現在も行われているとしたら話は別ですが。

しかし、韓国からの反発に無理があるとしても、政府が推薦を見送ろうとした判断は、僕は間違っていたとは言えないと思います。世界遺産に推薦するからには登録されることが日本政府の目標だからです。

今回推薦しても登録が難しいかもしれないと考えられる理由が3つあります。

(後半へつづく)
(2022.02.01)