第32回 山本・リシャール登眞さん 大学生・タレント
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当時史上最年少のマイスター合格で注目を浴びた少年時代
―― 登眞さんには小学生でマイスターに合格された当時もインタビューをさせていただきましたが、改めて世界遺産検定を知ったきっかけを教えてください。
引っ越しが多い家庭で育ったのですが、幼稚園の年中・年長を日本で過ごし、卒園後にフランス・リヨンの小学校に進むことになったんです。そのときに日本語の図鑑をたくさん持っていったのですが、忘れられないものが2冊ありました。1つは公害からテロリズムまで、たくさんの環境への脅威を取り上げた『地球環境館』。そしてもう1つが『世界遺産大図鑑』です。
学校からの帰りのバスで『地球環境館』を読んでいたときに、飢餓にあるアンゴラの母子の写真を見て、涙が止まらなくなったことを今も覚えています。幼心に自分の無力さに打ちひしがれたんです。また同じころの2012年に、世界遺産のトンブクトゥの霊廟が破壊される映像がニュースで流れて、なんでこんなに大切だと言われているものが失われる世の中なんだろう、なんで僕は何にもできないのだろう……という思いを抱いていました。
そんなタイミングで日本に帰省した際に、本屋で見つけたのが世界遺産検定のパンフレットだったんです。当時の3級のテキストの冒頭にはイラスト入りでユネスコ憲章が掲載されていて、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」という言葉がアンゴラの母子やトンブクトゥに重なったんです。この理念は何を目指しているのだろう?と世界遺産検定の勉強を始めたんです。
―― そこから3年後の小学5年生での世界遺産検定マイスター認定は大きな飛躍であり、快挙でした。相当な学習量だったのではないでしょうか。
好きだったのもあって、3級・2級・1級のテキストは相当読み込みました(笑)。
ちょうどオカバンゴ・デルタで世界遺産登録が1,000件になった時期です。テキストに載っていない登録したての遺産は世界遺産アカデミーの研究員ブログや、宮澤研究員の新聞連載をスクラップしたりして追いかけていました。
マイスターの試験には1,200字の論述問題があり、その対策をするなかで印象的だったのが、過去問の講評にあった「感情的にならないこと」という指摘でした。前年の出題がパルミラの破壊とIS(イスラム国)の行為に関する論述で、どうしても「ひどい」「悪い」という方向に論が向かいがちです。ここで民族や宗教、主張の多様性という観点から、客観的なものの見方を持てるかどうか。これはアカデミックライティングの基本ですが、今大学で教えてもらっているようなことを、小学5年生で触れられたのは大きな経験だったと思います。
―― 前回のインタビューの後、テレビなどのメディアでお見かけすることも多くなりました。どのような学生生活を過ごされてきたのか教えてください。
京都KBSの「おやかまっさん」、大阪MBSの「ちちんぷいぷい」、カンテレの「よ〜いドン!」という、地域に愛される番組に出演させていただきました。その後、「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」、「世界ふしぎ発見!」のロケで全国、そして海外の世界遺産を取材する機会をいただきました。
住まいが京都だったという環境にも恵まれていたと思います。テレビや雑誌のお仕事で文化遺産の保存と修理の現場で修理技術者のお話を直接伺えたり、比叡山延暦寺・根本中堂の大改修を僧侶の方に案内していただいたり・・・本当にいろいろな経験をさせていただきました。高校ではギターを弾いたり、ホルンを吹いたりと充実した学生生活でした。
より学問を深める道へと誘った国際法との出会い
―― この春、大学に進まれる際にも、世界遺産が関わっていたとお聞きしました。詳しく教えてください。
この春から東京大学の法学部に推薦で進学しました。法学に進んだのにも、世界遺産との結びつきがあります。
高校1年生のときに、世界遺産アカデミーでオンラインの講座を担当しました。世界遺産条約採択50周年をテーマに、その採択の課程やグローバルストラテジー、今後の課題といったことを研究・発表させていただいたんですが、調べた資料のなかに国際法の本があったんです。その内容にすごく惹かれました。
国際法の広がりに感銘を受けました。例えば、海底。海の底をみんなの共有資源として守ろうという法律があったり、国家のない宇宙をどう法律で捉えるか、という射程の広さに今後のポテンシャルを感じました。世界遺産を法律の観点で見てみたくなり、高校3年生の夏休みに論文※を書きはじめました。ユネスコが世界遺産条約を通じて何をしたかったのか、を理念面からまとめたものです。大学の入学にあたっても見ていただきました。
※タイトルは『UNESCO的思考の検討 多元化する世界における平和維持の道具としての世界遺産』。
―― 小学生当時は、建築士やイコモスの調査員を将来の夢として挙げられていました。今の夢は何でしょうか。
当時の夢は建築家やイコモスの研究員でしたし、実際今でも個別具体的な研究に興味がないわけではありません。ただ国際法と世界遺産を研究していくうちに、この世界遺産をみんなで守るためのアプローチの側に関心が移っているのも事実です。もしかしたら、国際法の人権・環境・平和という考え方に援用できるかもしれない。今はこのアプローチを広げられることがしたい、と思っています。
―― あえて好きな世界遺産を1つ挙げていただくことはできるでしょうか。
2022年の冬に訪れたフィレンツェです。受験も迫るなかで旅行に行ける時間も少なかったので、強行日程でしたがローマとフィレンツェに行ったんです。フィレンツェでは感動に感動を重ねました……。ウフィツィ美術館や、ドゥオーモの上から見る赤い瓦屋根ももちろん美しかったんですが、何に一番感動したかというと、「雲と木」だったんです。
その雲の立体感とか、木々の曲がり方とかが絵の中の世界そのもので。その感動が大きすぎたのか、ローマに戻ると高熱が出ました。フィレンツェに取り憑かれてしまったかのようで、これはまさにフィレンツェ症候群です(笑)。それだけフィレンツェの街に惚れてしまいました。
―― 登眞さんの世界遺産の見方に影響を与えた遺産はありますか?
エジプトの取材で行ったアブ・シンべル神殿は非常に面白かったです。考古学者がいて技術者がいて、これをどう一丸となって修復・保存していくかという活動のプロセスを生々しく見ることができました。世界遺産の原点ですし、アンドレ・マルローの演説がよく引用される遺跡ですが、そういった理念的なアプローチが今の自分にも生きていることを、現物を見ながら感じましたね。
世界遺産を学び、考え続けて今伝えたいこと
―― 登眞さんにとって世界遺産とは何でしょうか。
逆説的な言い方になるかもしれませんが、世界遺産は「人間らしさ」だと思っています。ちょっと不可解に思われるかもしれません。不動産しか登録されない文化遺産だったり、手つかずの自然遺産のどこに人間味があるのだろうかと。
しかし、文化遺産が今私たちの眼の前に残っている背景には、この建造物を造った人々がいて、それを守り伝えてきた人々がいて、そして今保護している人々がいる。そこに私たちの生きている証があると思うのです。
自然遺産だって、私たちを育んでいる地球の姿そのものです。私たちがどんな地球の歴史の上に生きているかを伝えてくれる。世界遺産というのは、今を生きている私たちを投影するものであって、その意味で人間らしさだと思うのです。
―― 世界遺産を学ぶ意義とは?
私たちの生活には、犯罪や権力の濫用、戦争の犠牲といった悲しいニュースが日々飛び込んできます。自分の身の回りの生活に目を向けても、無力感や倦怠感を覚える瞬間が多々あると思います。目を背けたくなるものばかりかもしれません。
でも世界遺産を学んだり見ているとき、これとは違う視点で世の中を見ている自分に気づきます。それは「肯定的な視点を持った自分」です。例えば世界遺産を見たときに、すごいと感動する心や、何かを美しいと思える感覚。こういう肯定的な驚きの連続を経験することは、決して辛い現実からの逃避ではなく、同じ現実をポジティブに見ているということです。
―― これから世界遺産を学び始める方へのメッセージをお願いします。
世界遺産の勉強をすると、最初は個々の遺産を点で覚えることになるでしょう。それをいかに線でつないで、そして面に乗せていくか。そうやって面的に、少し引いたところから世界と世界遺産を見ることをいかに楽しめるか。これが世界遺産検定を学ぶ上でキーになると思います。
僕は世界遺産の勉強や、世界遺産に関連する活動のなかで、ものすごくたくさんの分野に及ぶたくさんの人たちと出会うことができました。そしてこれからも多くの出会いがあるでしょう。今から世界遺産を学ぼうとされている方とも、いつか出会えることを心から楽しみにしています。
(2024年5月)
プロフィール
山本・リシャール登眞(やまもと・りしゃーるとうま)さん