認定級 マイスター・世界遺産アカデミー認定講師
山口 利光さん
筑波大学大学院博士課程修了 博士(世界遺産学)
―― 山口さんは会社員をご退職後に筑波大学大学院に入学され、先日「世界遺産学」の博士号を取得されました。おめでとうございます。どのような研究をされていたのでしょうか。
私の研究テーマは、製糸工場の変遷とその跡地利用に関するものです。製糸工場といえば富岡製糸場が有名ですが、実はあのような形で建物が保全され、重要文化財、国宝、そして世界遺産にもなり、展示施設として大切に活用されている例はとても稀なんです。製糸業は明治維新後の日本の殖産興業を牽引し、最盛期には大きなものだけで全国に300以上の器械製糸工場がありました。戦時中は軍需工場に転用され、戦後は製糸工場として復活するのですが、洋装化の時代の流れやオイルショック、外国産の安い生糸の流入などにより工場の閉鎖が続き、今では全国に2つの工場を残すのみです。
では、そんなにたくさんあった工場はいったいどうなってしまったのかと。日本の近代化に貢献した絹産業の痕跡はどこかに残されているのか、ということを探りました。例えば、さいたま市に「コクーンシティ(※)」というショッピングモールがありますが、これは元々あった大型の製糸工場の跡地を利用したものです。あるいは、製糸ではない違う形の工場になったところもあります。
※コクーンは生糸の原料である繭の意味
富岡製糸場のように文化財として残るケース、コクーンシティのように名前として残るケース、一部の建物だけが別の工場の敷地内にひっそりと残るケース。さまざまな事例を調べ上げながら、文化財、あるいは文化というものの保護と継承のあり方について研究しました。
世界遺産学専攻なのでもちろん世界遺産のことはやるのですが、そこを切り口にして文化財のあり方を考える、という形でチャレンジをしている人が仲間にも多かったですね。ただ私にとっては、やはり「世界遺産をどうやって守るのか」という問いが、研究テーマを設定するうえでは出発点になったと思います。
―― そもそも世界遺産に興味をもつきっかけは何だったのでしょうか。
会社員時代は外資系の総合化学メーカーで40年ほど勤め上げ、営業部門と人事部門を行き来するバリバリのビジネスマンというキャリアでした。営業部門にいたときに、ドイツのデュッセルドルフという街へ製品の展示会のために出張したんですね。でもたまたまデュッセルドルフでホテルが取れなくて、現地の同僚に近くの街で宿を押さえてもらったんです。それがケルンでした。空港から車で街へ向かうと、黒い2本のピンのような建物がどんどん大きくなって、見上げるような高さになり、それが世界遺産『ケルンの大聖堂』であることを初めて知りました。
当時のケルンではライン川を挟んで大聖堂の対岸に高層ビルの建設計画が持ち上がっており、「顕著な普遍的価値」に影響があるとユネスコが警告して、大聖堂は危機遺産リストにも記載されていました。結果、高層ビル計画は撤回されて危機遺産からは外れることができたのですが、そんな風に注目を集めているタイミングでもあったんです。
―― 『ケルンの大聖堂』の危機遺産指定が2004年、指定解除が2006年ですが、第1回世界遺産検定が開催されたのがちょうど2006年です。検定との出会いのきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
ドイツへの出張のあと、また別の国内出張で飛行機に乗って新聞を読んでいたら、「世界遺産検定実施」という広告が載っていたんです。ちょうどドイツに行って世界遺産のことが頭にあるタイミングだったので、「面白そうだな、受けてみようかな」と。
当時は今とは級制度が違っていて、第1回検定では確か得点により「シルバー」か「ブロンズ」のいずれかに認定される仕組みだったと思うのですが、そこでシルバーを取ることができたので、もっと上を目指す意欲が湧いてきました。仕事も忙しかったのであまり焦らずに「ゴールド」を取り、制度が変わって1級、マイスターとじっくり取り組んでいきました。
マイスターには2回目の受検で合格しました。外資系の企業では「エグゼクティブ・サマリ」といって、要点を簡潔にまとめた文書が好まれるんですね。私はその感覚が染みついていたので、指定された文字数をきちんと埋めるということに慣れておらず、1回目のときは字数足らずで提出してしまい(笑)。2回目はきちんと字数分書けるようしっかり対策を練って臨みました。そんな準備も楽しかったですね。
―― てっきり一発合格されたのかと思いましたが、そのようなご苦労があったとは…。それにしても総合化学メーカーと世界遺産というと、少し結びつけて考えにくいような気もしますが、海外には昔からご興味があったのでしょうか?
はい、元々地理が大好きだったんです。大学入試の社会科目でも地理を選択しました。就職先を選ぶにあたっても、海外出張が多いということは動機の一つになったと思います。世界を舞台にやれるような仕事をしたいと思っていました。
業務内容と直接関係することはあまりなかったかもしれませんが、世界遺産を学んだことで仕事に活きる面は大いにありました。海外のビジネスパートナーと話すときに、その人の地元の世界遺産のことを話すと、非常に盛り上がったり喜んだりしてもらえることが多いんです。「よく私の地元のこと知ってるね!」と。話題を広げたり仲良くなったりするのに、世界遺産の知識というのはとても役に立つと思いますね。
ちなみに、大学時代は工学部で繊維のことをやっていて、その後大学院まで行き、実は製糸のことを研究していました。もちろん工学部なので人文科学的な研究ではなく、自然科学的な研究ですね。日光が当たると変色しやすい生糸の改良だとか。総合化学メーカーに入ったのはそういう関係もありました。
―― 山口さんは第1期の世界遺産アカデミー認定講師でもあります。ご自身が学ぶ立場から、教える立場へと進まれた経緯を教えてください。
昔、世界遺産アカデミーによる教え手の養成プログラムのようなものに参加したことがあったのですが、そこで研究員の方々の知識に感心させられ、教えるのも自分の勉強になるということを強く感じました。その経験があって、今の認定講師という制度ができたときに第1回の認定講師研修に参加し、講師として認定を受けるに至りました。
それと、会社員としては人事部門でも働いた経験があるのですが、そのときの異動のきっかけが、当時の人事部長から「お前は声が大きいから教育研修に良い」と声をかけられたことでした(笑)。そうして人事で社員教育を担当していたことも、教えることに対する興味を育むことにつながったかもしれません。
―― 会社員としてのキャリアと並行しながら世界遺産のエキスパートになられたわけですが、そこからご退職後に改めて大学院で学ばれようと思ったのはなぜでしょうか。
退職したら、また学生になりたいという気持ちは以前から持っていたんです。雇用延長で一応64歳まで仕事を続けていたんですが、どんなに遅くとも65歳の誕生月で終わりなので、次にやることを考えていて、学生になろうと思ったんですね。で、学生になるうえでは、やはり馴染みのあるテーマがいいなと。世界遺産をせっかく楽しく勉強したので、世界遺産の研究ができるところを探して、筑波大学に行き着きました。
非常勤講師もやって休学を挟んだりしながら、足掛け7年半在学し、あと半年で満期退学が迫っていましたが、なんとか博士課程を修了することができました。そこまで続けられたのはやはりテーマが面白かったからだと思います。学友も若い人が多いわけですが、楽しく仲間に入れてくれました。
―― すごいバイタリティですね。今後の展望や目標をお聞かせください。
今後も勉強を続けたいです。具体的には、私が今住んでいる地域には結構歴史があり、文化財も眠っているようなのですが、あまり大事にされていない節があるんです。なので、その状況や今後のあり方を探ってみたいと思っています。
それから、私がこうして勉強を続けるきっかけになったのには世界遺産や世界遺産検定の存在があるので、世界遺産というものを勉強したい、興味があるという人の手助けができるのであれば、ぜひ助力させてもらいたいという気持ちです。
世界遺産を学ぶことの良い点は、地理、歴史、宗教、芸術、環境…さまざまな分野への広がりがあるところだと思います。私の場合も、元々感心があったのはどちらかというと文化遺産でしたが、学んでいくうちにいつの間にか自然遺産にも興味が湧いていきました。つまり、入口は自由でなんでもいいと思うんですね。写真を眺めてみるだけでもいい。自分の推し遺産を一つ持って、それについて調べてみると、自然と興味が横に広がっていくんです。
皆さんそれぞれがお好きなことに近い遺産についてちょっと勉強するだけで、興味や視野を大きく広げてくれる可能性があるのが、世界遺産の魅力だと思います。
(2023年10月)