■ 研究員ブログ182 ■ ロシア軍のバビ・ヤール攻撃の悲しさを考える

僕だけでなく、世界の多くの人がそこまではやらないだろうと考えていたロシアによるウクライナ侵攻が始まってしまいました。それも国連の常任理事国による、国際法を無視した力による現状変更の動きです。常任理事国が非常に強い権限をもつ国連の限界を改めて感じてしまいます。

ユネスコはすぐに、戦時における文化財の保護のための「ハーグ条約」の遵守や、国際人道法の遵守、教育の保護などを求める声明を発表しました。ロシアにとってのルーツの1つであるキエフ・ルーシの正教会の文化財が破壊されることはないという意見もありますが、戦時は何があるかわかりません。戦況が行き詰り、ロシアがその打開を図れば文化財を破壊して心理的なダメージを与えることもあり得ます。常識的に考えたらあり得ないことだって、今はないとは言えないと思うのです。

今日のニュースで、ロシア軍がキエフのバビ・ヤールを攻撃したというのがありました。ウクライナのキエフにあるバビ・ヤールは、第二次世界大戦の時にナチス・ドイツがユダヤ人市民の大虐殺を行った場所です。1度に3万人以上の市民が連行され、銃殺されてそのまま埋められました。ナチスに1度に虐殺された人数としては最大であったと考えられています。

ソ連は第二次世界大戦後、バビ・ヤールの虐殺をユダヤ人に対する犯罪ではなくソヴィエトの市民に対する犯罪であるとして、バビ・ヤールにはソヴィエト市民を追悼する記念碑が建てられました。ウクライナによってユダヤ人犠牲者のための記念碑が建てられたのは、ソ連解体後です。

そうしたウクライナにとって非常に重い意味をもつバビ・ヤールを攻撃したのが、ウクライナのゼレンスキー大統領を「ネオナチ」と呼ぶロシアのプーチン大統領のロシア軍であることが質の悪い冗談のようです。ウクライナの人々の悲しみの深さは計り知れません。

この「バビ・ヤール」は、ロシアの作曲家ドミトリイ・ショスタコーヴィチの交響曲第13番の通称にもなっています。これはロシアの詩人エフゲニー・エフトゥシェンコの詩に音楽を付けたものです。エフトゥシェンコの反ユダヤ主義を批判する詩が反体制的だとして、交響曲第13番は初演の前からソヴィエト政府による介入や圧力、嫌がらせなどを受けてきました。音楽やスポーツは政治と別であるなんてことはないのです。

今回のウクライナ侵攻も、全てのロシア人が賛成しているわけではありません。モスクワとウクライナの位置関係から考えて、プーチン大統領がウクライナのEU加盟を恐れるのも理解できます。私たちはどうしても西側諸国の視点から物事を見てしまいますが、こうした出来事があった時こそ、さまざまな政治的・歴史的・地理的な視点だけでなく、文化財や芸術の視点を考えてみると、また違った見方ができるようになると思います。

さまざまな視点から考えてみて、やはり今回のロシアの侵攻はおかしいと批判したらよいのですから。「戦争はダメ」よりも踏み込んだ反対が必要です。その批判はロシアだけに止まらないかもしれないですし。

今回は直接、世界遺産の話ではないですが、世界遺産を学ぶ理由の1つが視点の多様化だと思っていますので、これも複雑なウクライナ問題を考える1つの視点になったらいいなと思います。ぜひショスタコーヴィチの「バビ・ヤール」も聴いてみて下さいね。

ウクライナの皆様の安全と平和が戻ることを願って。

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(2022.03.02)